「イタリアの太陽」とたたえられる野性的な美貌と、圧倒的な存在感を保ち続けるイタリアを代表する女優。若くして米国ハリウッドに進出し、『ふたりの女』(1960)でアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した時はわずか27歳だった。イタリア人女優初のオスカーを「私の人生の中で最高の思い出」と振り返る。
グレゴリー・ペック、クラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント…。彼女が出演した100本超の映画の共演者を並べれば、そのまま20世紀の映画スター史である。そして特筆すべきは今も、知性と貫禄で美しさを磨き上げ、円熟した演技力で映画に主演し続けていることだ。
2009年も『NINE』に出演し、今なお変わらぬオーラを放ってファンを喜ばせた。長年にわたる映画界への貢献は、1991年のアカデミー賞名誉賞でも「世界映画の宝」と称賛されている。
1934年、ローマで母子家庭に生まれる。生後まもなく南部ポッツォーリに移り、貧しさと戦争をくぐり抜けながら成長。14歳で美人コンテストの最終審査に残ったことがきっかけで、ローマの俳優学校で学んだ。
女優としてのスタートは映画『クオ・ヴァディス』(1951)の端役。しかし、後に夫となって公私ともに彼女を支えることになるプロデューサー、カルロ・ポンティに潜在能力を見いだされたことで、女優として大きく飛躍する。
中でもネオ・レアリスモ映画を代表する映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカとの出会いは、『ふたりの女』のアカデミー賞受賞に結実。演技派女優として脱皮し、最高の相手役となる俳優、マルチェロ・マストロヤンニも加わって黄金期を迎えた。マストロヤンニとは20年以上、14作品で共演し、コメディー『昨日・今日・明日』(1963)、『ああ結婚』(1964)、戦争で記憶を失った夫とすれ違う悲劇を描いた名作『ひまわり』(1970)や『特別な一日』(1977)などが生まれた。
「女優はドラマチックな映画も、コメディーも演じられなくてはならない」との信念を持ち、現在も「シナリオを読んで感動するもの、自分が演じなければと感じるもの」を基準に作品を選んで、映画とかかわり続ける。
ポンティとの間に、指揮者のカルロ・ポンティ・ジュニアと映画台本作家兼監督のエドアルド・ポンティの二人の息子がおり、100本目の出演作『微笑みに出逢う街角』(2002)の監督はエドアルド・ポンティである。